足るを知るということ

足るを知るということ

 ヨーガにも戒律があります。
2つのセクションがあり、一つは禁戒、もう一つは勧戒です。
勧戒の中に「知足」があります。仏教の八大人覚(お釈迦様の最期の教え)にもある知足ですが、足るを知るということです。

 戒律も、「私」というものをどう捉えるかで、表面的な解釈に留まるか、あるいは恐ろしくクリアに理解できるかにわかれます。

 エックハルト・トールさんは自身の著書『ニュー・アース』で、「人は、恨みがましい気持ちというのがぴったりの感情を人生の大半で経験しているものだ」と述べています。続けて、その状態とあまりに同一化してしまって、客観的に見ることができないので自分では気づかない、と。そしてこの、無自覚、無意識状態であることが問題だといいます。

 これこそ、知足を本当に理解するのに要となるところでしょう。
この(現状を恨みがましく感じる)無意識状態を自覚すること以外に、(現状を恨みがましく感じることなく、ありのままに捉える)知足であることはできません。

 無意識状態を自覚するためには、「私」とはいったいどういうものかを知る必要があります。
無意識状態である「私」を自覚することのできる〈私〉、という二重構造を理解することで、我慢大会で終わりがちな戒律も、おのずと実現します。

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