我があると迷いがおきるのだよなとふと思った。
おお、ここまで来たか、と続けて思った。
瞑想を続けて12年目になりますが、我のない側から我のある迷いの状態を見ることができるように、いつの間にかなっていた。
あれやこれやと迷っているとき、我を感じる。
迷いは楽しい状態ではないですよ、むしろその逆で、迷いこそ、自分で自分を苦しめるのが得意な我の大きな特徴の一つであろう。
瞑想のすごいのは、うまくいこうがいくまいが、とにかく続けてさえいれば、いつの間にか我がなくなってゆく。我のない、迷いのない状態が、だんだんと常態化してゆくすごさ。この、自分が変わってゆくのを味わってしまえば瞑想を辞めることはもうできないはずである。やめてしまう人は結局、この面白さを味わっていないのだと思う。
瞑想、自分の心を降りてゆくこと、こんなことはできればしたくないのは誰でもそうであろう。こんな痛いことはわざわざいないで目の前にあまりある楽しいことに興じることはいくらでもできる。しかしどんなに忘れたふりをしたところで、迷いはなくならない。迷いという痛みは疼き続ける。
であれば、痛かろうがなんだろうが瞑想をしないでいる理由はないと思うのですよ。どのみち迷いであるなら、瞑想をとにかく続けていさえすれば、自動的に迷いはなくなるのだから。
というわけで、2026年からは瞑想に比重をおいたクラスをしてゆこうと思っています。
