今までになく平和に迎えた2024年である。
以前は、必ず食べ過ぎたり飲み過ぎたりたりして自己嫌悪になるので、年末年始の休みといえば憂鬱なものでしかなかった。
が、今年は何も普段と変わりなく過ごしていて、ああ、かつては立派に「患者」だったなと感じ入ってしまった。
今は、その意味ではもう患者ではない。
患者性、というアイデンティティも立派に存在する。
加えて、そんな願い下げなアイデンティティであっても、辞めるのはなかなかできないものである。というか、どんなアイデンティティでも辞めるのが何より難しい。
難しいけど、不可能ではない。
私もやはり、ある時、患者であることを辞めたという自覚がある。
患者であることは、自ら辞めることでしか辞められない。
逆に言えば、辞めようと思えれば、辞められるのだ。
辞めてしまっても、私は私でなくなるということはなくて、患者性というアイデンティティがなくなるだけのことである。
とはいえ、それが自分なのだとかたく信じている限り、辞めるのは至難であり、詰まるところ、患者であることのそもそもの元凶とは、それが自分であると信じてしまうことである。
患者というアイデンティティを辞めても私は私のままである、ということが急所である。
患者性をどうにかしようというのではなくて、患者であることを辞めてしまう、という方向があるということ。
患者性をどうにかしようとする限り、患者であり続ける、というパラドクスから抜けるには、その方向しかない。